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河上肇
かわかみはじめ
[生]1879.10.20. 山口,錦見
[没]1946.1.30. 京都
経済学者。啓蒙的マルクス経済学者として大正,昭和初期の左翼運動に大きな影響を与えた。 1902年東京帝国大学法科大学政治科卒業。同大学農科大学講師のほかいくつかの教職を歴任後,一時新聞記者,さらに『日本経済新誌』を主宰。 1908年京都帝国大学講師,1909年助教授,1915年教授。この間 1913~15年にはヨーロッパへ留学,帰国後 1917年『貧乏物語』,1918年雑誌『社会問題研究』を刊行するとともにマルクス主義の体系的な把握に努める。 1928年教授辞職後,大山郁夫らと労農党を結成する。 1932年地下運動に潜入,日本共産党に入党し『赤旗』の編集に参加。 1933年検挙され,1937年まで入獄,獄中で『獄中記』『獄中贅語』を執筆。以降 68歳で病没するまでもっぱら『自叙伝』を執筆。
狩野直喜
かのなおき
(1868―1947)
大正~昭和初期の中国学者。字(あざな)は子温(しおん)。君山と号する。慶応(けいおう)4年正月18日、熊本に生まれる。済済黌(せいせいこう)を卒業後、帝国大学文科大学(東京大学文学部の前身)漢学科に入学、1895年(明治28)卒業。1900年(明治33)北京(ペキン)に留学、義和団事件にあう。1906年京都帝国大学文科大学教授に任ぜられ、1928年(昭和3)定年退官に至るまで、支那哲学史あるいは支那語学支那文学講座を担当、この間、文学博士、帝国学士院会員となる。退官後、東方文化学院京都研究所所長に就任。1944年文化勲章を授けられた。昭和22年12月23日、京都の自宅にて没。中国の羅振玉、王国維やフランスのペリオなど外国の学者と親交があり、経学では清朝考証学を祖述し、文学では戯曲・小説の研究や敦煌(とんこう)文書の調査など、日本の中国学に新風を吹き込んだ功績は大きい
河田嗣郎教授。氷谷は号。明治時代~昭和時代の経済学者。京都帝国大学教授。作者・河上肇とは、同郷の出身で中学・高校とともに学び、京大法科・経済学部では同僚となり、作者・河上肇とは家族ぐるみの親交を結んだ間柄。昭和十七年(1942年)五月二十一日歿。商品の情報
| 商品の状態 | やや傷や汚れあり |
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